ストレスの軽減を図ろう
過敏性腸症候群はストレスが原因で発症することが多いと言われている病気です。
そして私が過敏性腸症候群ガス型を発症したのは高校3年生の時。
受験生というストレスフルな年齢ではありましたが、それ以前に暮らしていた環境がきっと身体には毒だったのでしょう。
私の実家家族ははっきり言って仲が非常に悪かったです。
両親は現在でも夫婦ではありますが、私が物心ついたころから互いを言葉で傷つけ合うことが日常的でありました。
そして子供たちに対しても同様でした。
そして当然子供達同士も傷つけ合っていました。
誰かを攻撃しなければ自分を守れないような家庭でした。
そう言った負の家庭環境を土台として反抗期や受験のストレスが重なり私の身体は過敏性腸症候群ガス型を発症してしまったのでしょう。
20歳頃、私は酒に酔って家族に理不尽な暴力を振るう父と大喧嘩をし家を飛び出しました。
大学生だった私は大学のそばのおんぼろアパートを借り一人暮らしを始めました。
学費と生活費は奨学金とバイト代でまかないました。
人との関りが少なく済む早朝などの時間帯で荷物運びなどの肉体労働やピザのデリバリーのバイトを必死にこなしました。
いま思うと、このあたりから少しずつ過敏性腸症候群ガス型にばかりとらわれていた思考が他のことにも向かうようになってきていました。
なにせ働かなくては生活できません。
どうやって生活していこうかいつも考えていました。
学業もあったためギリギリな生活でしたが、家族といがみ合う毎日から解放された上に過敏性腸症候群ガス型以外のことを考えることができる環境を嬉しく感じていました。
毎日満員電車やバスを乗り継いでの通学から解放されたことも大きかったのでしょう。
それまでは人から「臭い」と言われることを恐れてなるべく誰にも会わないようにコソコソと生活していました。
しかし一人暮らしを始めてから少しずつ色々な人に接することができるようになり明るく前向きな気持ちになれる時間ができてきました。
精神的に疲弊すれば一人アパートにこもることもありました(アパートは誰もがドン引くおんぼろ具合でしたが、私には必要不可欠且つ絶対安全な逃げ場でした)。
積極的な気持ちになったり、留年しない程度に時々引きこもってみたり。
私の闘病はまだまだ先の20代後半まで続きますが、この頃をきっかけに「死にたい」と悩むことや思い詰めることはなくなりました。
社会に出て過敏性腸症候群ガス型のことばかり考えていられないような環境で無我夢中で働いて、何年もかけて段々と症状が緩和し身体や精神の状況が改善し、いまでは過敏性腸症候群ガス型の呪縛から解放されるまでに至りました。
おかげで社会的キャリアも積むことができ生活の安定や自信を得ることもできました。
何が言いたいかと言うと、きっかけは人それぞれですが過敏性腸症候群ガス型以外でいま自分をストレスフルにしているものがあるならばそこから離れたほうがいいかもしれません。
他のものに目を向けましょう。新しい世界を知りましょう。いままでとは違う自分を探しましょう。
そこに孤独で真っ暗な迷路からから脱出するヒントが隠れているのです。
まずは消臭。治療や体質改善はそれから
過敏性腸症候群ガス型から解放されて早10年。しかし過敏性腸症候群ガス型に悩まされた年月はまだそれ以上あります。
発症当時インターネットは普及していましたが、まだこの病気にがついて情報は少なく消化器内科クリニックにかかっても院長先生に「なにそれ」と一蹴される状況でした。
周囲から嫌悪され憎まれ、そんなことしたくないのにただ存在するだけで迷惑をかけて・・・
どうすればいいのか分かりませんでした。
当時10代だった私は実家にあるPCで一生懸命調べたものです。
「おならを減らすには」「おならの臭いをなくすためには」「ストレスを減らすためには」
なんとかして自分からおならの臭いが発生し周囲に蔓延することを防ぎたかったのです。
「過敏性腸症候群」というキーワードは入手できたのでその治療法や体質改善、それに関する生活習慣について必死になって毎日のように調べていましたが、結局のところ何年も状況は改善しませんでした。
直接私には言ってきませんが、聞こえるように非難する言葉を浴びせられる毎日。
会話したことない人からもたくさん・・・。
自分という存在が自分にとっても他人にとっても最悪なものである日々。
常に怯えていました。
転機
20代半ば。社会人でありすでに配偶者と子どもがおりました。
不思議なことに家族にはほとんど臭いを指摘されることはありませんでした。
心を許すことができる数少ない存在の前では症状が現れない病気・・・。やはりこれは心の病なんだと実感し更に一人もがき苦しんでいました。
そんななんかインターネットで偶然に見つけることができた「過敏性腸症候群ガス型用消臭パンツ」。
自分の身体を変え症状をなくすことに必死だった私でしたが、それはそのままに症状を周囲に感じさせないアイテムがあることに目からうろこな気持ちでした。
ましてや過敏性腸症候群ガス型患者に向けたアイテムだなんて・・・・。
時代が変わってきている、この世の中にこの病気への味方が現れ始めていると実感した瞬間でした。
まだ過去に向き合えない。今も癒されない傷。それでも・・・
私が罹った過敏性腸症候群ガス型は重症例だったのだと思います。
なぜなら臭いおならが漏れ出ているという自覚が全く無かったから。
「いつした?」「本当に自分なのか?」といつも半信半疑で戸惑いを感じると共に「何故こんなことが起こっているのか意味が分からない」という現実が只々怖かったです。
何年も毎日が地獄でした。
特に学生時代は満員の電車とバスを乗り継いでの通学、高校は進学クラスだったため朝早くから夕暮れまでの授業、クラスメートからの怒りや嫌悪の眼差し。大学に進学後も同様でした。
誰もわかってくれない。自分すら分からない。言葉にもできない。声を上げられない。
脱出方法が見つからない孤独と恐怖の迷路に何年も閉じ込められたようなような感覚でした。
これは現実なのか・・・・
本気で死を考える毎日を送りました。
治ってから10年・・・。
何で治ったのかもわかりません。
過敏性腸症候群ガス型に苦しみもがきながらも就職して必死に働いて現在の地位に就くと並行して、結婚して子供が生まれ家族の為に一生懸命頑張って・・・
時々臭いと周囲から言われることはありましたが、過敏性腸症候群ガス型に悩まされる隙がほとんどないくらい忙しい日々に忙殺されて日々を過ごしていたからかもしれません。
しかし現在でもまたいつ嫌悪の眼差しを向けられるようになるか分からないという恐怖がずっと自分に付きまとっています。
ここに自分が経験した具体的な事例を書こうと思いましたが、苦しくなりそうなので止めました。
それよりも今もかつての私と同じように苦しんでいる人がいるならば、一分一秒でも早くその地獄から抜け出せるようにお手伝いしたい。
そう思い、このブログを書こうとPCに向かっています。
先ずはご挨拶
こんにちは。
私は高校3年生から10年ほど過敏性腸症候群ガス型に悩まされた経験を持つ配偶者子持ちの30代社会人です。
長年、自分が過敏性腸症候群ガス型であったことは黒歴史であり誰にも語ることはありませんでした。
現在も最愛の家族は私のかつての地獄を知りません。
しかし
この世の中のどこかに、誰にも理解されず部屋の隅で社会から怯えるようにこの病に一人で苦しみながら生活している人がいるのかもしれない
その人たちの力に過敏性腸症候群ガス型克服後10年(多分)を迎えるいま、微力ながらも自分が力になれることはないか
と思いこのブログを立ち上げました。
どうか明るい日差しの下、一人暗闇でもがき苦しんでいる方がいたらここにお立ち寄りください。
気休めにしかならないかもしれませんが、少しでもその苦しみをここに落として気持ちを軽くしていただければ幸いです。